「クウォーン。クウォーン。」
今は真夜中で、大河内家のみんなも寝ており静かです。
「クウォーン。クウォーン。」
あ、また悲しそうな声がした。
どうしよう。どうしよう。僕も、小さいけれど聞こえるように、
「クーン。クーン。」
すると、僕の声を聞きつけて僕のお母さんが目をさました。
「どうしたの」
また、僕は
「クーン。クーン。」
お母さんは僕の声に気がつき、はてなという顔をして、裏山辺りから聞こえる声に気がついたようです。
「悲しそうな声だね。どうしたのかな。」
と、僕と同じようなことを考えているようです。
僕が事務所に行った時に、ご主人様と事務員さんとが、話しているのを思い出しました。ご主人様は、神奈川被害者支援センターの副理事長をしています。この神奈川被害者支援センターは、NPO法人ですが、ここで働く人たちは、30回もの講義を聞くなど、研修を重ねてやっと一員として参加することになるということです。被害者にかかわるということは、とても大変なことのようです。
「今年も、被害者支援センターで、講義をするんですね。」
「みんな真剣だからなあ。」
「被害者といえば、先週の法廷では、大変でしたね。」
「被害者の家族の気持ちは、もちろん分かるが、無罪を主張しているこちらとしては、複雑だよ。」
「審理が終わった後のあの言葉のやりとりは、すごかったですね。」
無実を訴えている被告にしても、精一杯の反論でしょうか。被告が殺したと信じている被害者の家族にとっても、黙って法廷を終えた後の苦しさから、湧き上がった言葉でしょうか。お互いを傷つけあっている感じです。
被害に遭うということは、本当の心は、本当の気持ちは、本人しかわからないのでしょうか。どうしたら、分かり合えるのでしょうか。被害者支援のあり方は、日本では、試行錯誤をしながら、よりよいものへと作っていく過程のようです。
ご主人様は、ドイツ視察に行き、ドイツのいいところは、取り入れていけたらと、日本の被害者支援と、ドイツの被害者支援とを、比較しています。ドイツでは、「白い環」という全国的な組織が、被害者にかかわっています。
ドイツの被害者は、
- 法廷に参加できる。
- 法廷で質問できる。
ということです。日本でも、その方向で検討されているようですが、でも、大きく違う点があります。
ドイツでは
- 被害者を助けるということを、第一に考え、気持ちに沿って話を聞きます。
- 加害者に向かっていく気持ちは、被害者にとっては、泥沼となるということです。
- 憲法の人権から、死刑制度は認められないということです。
日本では、同じ人間であるのに、被害者、加害者、と、両極端に分かれてしまい、相手を傷つけ、その傷が、自分をさらに傷つけることになるということです。
本当は、ドイツでも、日本でも、被害に遭った人たちを大事に考え、加害者のことも大事に考え、人として、住みよい社会をつくるように、努力していけたらということです。
お互いに話し合うための言葉をもっている人間は、きっといい被害者支援ができるのだろうな。僕たち犬には、きっと、じっと我慢することしかできないのではないかな。
飼い主が死んでしまった
どうしよう
どうしよう
我慢、我慢
迷子になった
どうしよう
どうしよう
我慢、我慢
僕たちを怖がって いじめるよ
どうしよう
どうしよう
我慢、我慢
痛いよう 痛いよう
どうしよう
どうしよう
我慢、我慢
(横浜シルク法律事務所 高橋事務員記)






